こんにちは。
12月の声を聞くと 夜6時には とっぷりと暮れた夜空に 冬の星が美しくなってきました。
この度は 観光ではなく、先祖の供養をしていただくために伺いました。
初めて伺う お寺でしたが、小さいながらも手入れの行き届いた美しいお寺です。
お寺の中も美しく、大きな天蓋が下がっているのが印象的でした。 檀家の方に しっかりと守られているお寺だということで、きっと義母が安心してくれると思いました。
蹲踞のまわりに つわぶき。
山あいの静かなところです。若くして 戦死された義母の父のことを思います。
翌23日 勤労感謝の日の朝に、京都へ向かいました。
自動車道路を走ると 紅葉が進んでいて、明るい日差しのもと 山がきれいに輝きます。
珍しく 名神高速道路の上り天王山トンネル手前から、べったりと動かなくなりました。そこから京都南で降りるまで 1時間かかりました。(普段の日曜日なら混んでも30分くらいですか。3連休の方も多かったのでしょうね。)
京都国立近代美術館では、12月16日まで
「藤田嗣治展」を開催しています。
「タピスリーの裸婦」乳白色の肌。猫。 写真スポットですね。
逆光になって 少し見えにくいのですが、裸婦の後ろには布が描かれていて、おそらくヒナゲシやヤグルマギクの優美な花模様のこの布は 職人が手染めする西洋更紗とのことです。
画伯が 37才の頃の作品なのだそうです。
藤田嗣治 没後50年とのことで、130点もの作品が 年代順に 展示されていました。
館内は混んでいました。フランスのお客を時々お見受けいたします。
1929年(昭和4年)49才の作、おかっぱ頭の「自画像」に近づいて見ると、シャツのしわ、画伯の後ろから覗き込む猫の ふわふわとした毛並みが 繊細に描き込まれています。猫の表情や 画伯の手の形が 戯画に見えるような気がします。
手に 面相筆、木目が描かれた机の上には 硯と墨。ペンたてにも 何本かの細い筆が立っていました。 面相筆を持って、脇に猫を、こんな風に線描が作られていたのでしょうか。
驚きの美しさでした。油絵なのに日本画の 柔らかさ。 藤田嗣治の世界に 引き込まれていきます。
これは 絵の前に立って 近づいて観てこその感動だと思いました。
第二次世界大戦の時に 描かれた茶褐色の大作「アッツ島玉砕」1943年(昭和18年)57才の作 (193.5×259.5cm)は、荒く波立つ海を背景に 死んでいく人びとで埋め尽くされた 音の感じられない異様な世界が 静かに迫って来ました。
その場にいなくても この凄まじい有り様を描くことができたそうです。
前日 円成寺に伺って供養をお願いした義母の父は、アッツ島のあるアリューシャン列島で亡くなったのではありませんが、この時代の この戦争で 命を失った人びとのひとりなのだということについて しみじみと思いを巡らせました。
一連の 戦争画 を描いたことで 戦犯を免れはしたものの 日本を追われるように藤田画伯は、 再びフランスに渡り、制作を再開したそうです。
フランスに行く前に 滞在したニューヨークで制作された「カフェ」 1949年(昭和24年)63才の作。
食堂に集う人びとの何気ない日常を切り取った絵「ビストロ」1958年(昭和33年)72才の作 は 会話が聞こえてきそうなほど 臨場感を感じる表現が 魅力的でした。
晩年は キリスト教に改宗したとのことで 制作した宗教画が多く飾られていました。
エソンヌの自宅で 奥さんの君代さんのために 絵付けをした陶器の皿やワインの杯が 擬人化された猫の絵柄で とても愛らしい。
特別展示では、藤田画伯と同時代の画家の作品もありました。
出口と記した辺りに、キスリング、モディリアーニ、ユトリロ、ピカソ、シャガールなど 1〜2点ずつでしたが 展示されていました。
絵葉書は あまり置いてありませんでした。
図録の表紙は「カフェ」。この作品は デッサンと並んで展示されていました。
「カフェ」は 画伯の手作りの額縁に入っており、額縁には カップとソーサーや 足つきのグラスにスプーンが入っている彫りなどが施されていて、とても素敵です。 額縁は、他にも手作りされていたそうです。
向かいの 長らく改修工事中の 京都市美術館。優美なエントランスだけが 見えていました。
国立近代美術館のお隣は、図書館ですね。
この後、美術館の帰りに 時々寄らせていただく 小さなお寿司屋さんに行きました。
拙い感想が 長くなってしまいました。
制作の年と、絵のサイズ、そして 藤田嗣治画伯についての文に関しては、図録を拝見し 参考にさせていただきました。
お付き合いいただきまして、ありがとうございます。
「ソロモンの栄華の窮みも百合の花の一つに及ばない」(105×150m/m) 聖句 村上翔雲 書