こんにちは。
お久しぶりです。お元気でいらっしゃいますか。
東を向く薬師堂の傍に住んでいます。
周りをぐるりと取り囲んでいる家々は、昔 小さな砦があったというお堂の建つ丘の急な斜面に、手入れをしながら、椿や梔子、柿などの花や実の生る木も植えています。
薬師堂
おかげさまで 先月義父の一周忌を無事に終え、確定申告も済ませました。
ゆっくりとですみませんが、皆さまのブログへ伺えるようになって嬉しいです。
去年の夏頃から体調が優れなかった連れ合いの検査が続くなど、まだほっとすることはできないのですが、
薬師さんの斜面を歩いてみました。(足元がかなり危ういです。どんくさい私、お義母さんの心配事を これ以上増やさないようにしなくては… ) ちょっとした気晴らしです。
こぶしほどの石がごろごろとあるところには、時々 猪がやって来て掘り返しているようです。柔らかな枯れ草の上に深々と足跡を残しています。
こちらの芽吹きは、元気よく。オドリコソウのよく咲くところです。
日蔭の多い場所のオオイヌノフグリもそろそろ満開に。田んぼの畔もこの花で明るくなってきました。少しずつ暖かくなってきましたね。
***
少し古いお話になりますが、
片付けをしていると「岡部伊都子展」を案内する新聞の切り抜きが出てきました。
去年の11月の終わりのことでした。
12月24日までの会期と気づきました。
場所は 神戸文学館。JR三ノ宮から阪急電車に乗り換えて王子公園駅へ向かいます。
駅から、王子公園の道沿いを歩きます。季節は秋で、紅葉を見かけたり、常緑樹も生き生きとしていました。
王子公園の中の王子動物園の道向かいは、元兵庫県立近代美術館。美しい世界を何度も観に行った場所です。
今は 「兵庫県立美術館分館原田の森」と「横尾忠則現代美術館」となっています。
一時的にコロナの感染が落ち着いた頃でした。久しぶりのお出かけに気分が上がります✨
目的の神戸文学館は、王子公園の山側の教会の建物です。
以前は 関西学院大学の礼拝堂だったとのことです。
岡部伊都子さんの作品は、いくつか読んだことがある程度です。大きな顔をして感想を書くのもお恥ずかしいのですが…
市井に生きる人々や 野にひっそりと咲く花への あたたかな思いが語られる表現の嫋やかさ。
そして 差別や戦争を決して許さない凛とした文章は、からだが弱かった子ども時代に 病床にあり思索の時間が長かったからでしょうか。
大切に読んでみたくなります。
岡部伊都子さんは、13歳年上の篆刻師(日本画や書作品などの落款となる石の判を彫る職業の人ですね) と離婚した日を「私の独立記念日」として新しい人生を始められたそうです。
「暮らしの手帖」の公募に投稿したことをきっかけに、随筆家としてたくさんの作品を上梓されています。
今回は、お姉さまの神戸の古い家に お母さまとふたりで新しい生活を始めた頃から、京都へ居を移すまでの生活の中での所蔵品と初期の作品を取り上げられた展覧会でした。
こちらの神戸文学館と、今はリニューアルのため休館中の京都の立命館大学国際平和ミュージアムにも岡部伊都子さんの資料や遺品が所蔵されているそうです。
お母さまが部屋に活けられた 野の花々を愛でられる様子を書かれた原稿を拝見しました。
ごく初期の作品「おむすびの味」。原稿用紙の文字の上に線を引かれた横に 推敲された言葉が書かれています。
書き直す前の文も見ることができる貴重な原稿を見ていると、お目にかかったこともないのに「ああ、やっぱりこっち」と呟いて書き直される、伊都子さんの小さな仕草が目に浮かぶようです。
日々を紡ぐ文章に、窓から差し込む日差しのような長閑さがあります。野に育つ植物の健気を愛される様子は 読んでいますとほっと安らぐのですね。
夕暮れに近くの酒蔵から湧き出す湯気とともに 庭の板塀に巡らせた夕顔の花の描写の原稿には、私も子どもの頃の夕涼みの懐かしい思い出が 柔らかく浮かんできました。
展示品には、お姉さまの住吉の家から、同じ神戸の東灘へと家を建てて移った翌年に、お母さまを亡くされた折のご弔問への丁寧な挨拶文もありました。 お母さまを支えながら ふたりでずっと生きていこうとされていた伊都子さんの悲しみを思います。
秋明菊の綿毛
伊都子さんの書斎に置かれていた机や椅子も展示されていました。
机は展示のために、下の写真の場所から移動されていました。周りには部屋の壁のようにパーテーションが巡らされています。
机には、ご自由に掛けてみてください と書かれた札がつけられています。
天井が高くて広い会場は、どなたもおられなくて迷いましたが、失礼して。
元々あった白いクッションの代わりに ふんわりとした毛足のムートンが敷かれています。白い色がお好きだったのですね。
ゆったりとした椅子、どっしりとした造りの美しい机。引き出しの小さな持ち手の握りには 優美な意匠の金属の飾りがつけられていました。
書き物をする時に手が触る手前の場所は、使い込まれて少し色が落ちています。そっと触れてみます。
パーテーションには、伊都子さんが「たんぽぽ菩薩」と呼ばれた神戸の背山 再度山(ふたたびさん) にある大龍寺の穏やかなお顔の仏さまの写真や、
お母さまがバイオリンを 伊都子さんが琴を一緒に演奏する写真が飾られていました。
優しい表情のおふたり。親子の仲のよさが伝わってくるようでした。
机の前には更に、取材に答えた談話の一部だけが新聞に掲載されたことがきっかけで脅迫を受け、一時 兵庫県警に警護されたお話も張られてあり、
神戸から京都の鳴滝へ移り住むようになって「都落ちのように」と逃げるように転居する人生を一所不在と表現されておられました。
この度の企画展では取り上げられていませんでしたが、岡部伊都子さんは ご自身を「加害の女」と書いていらっしゃいます。
差別される人々や 自由を制限された立場の女性を庇うだけではなく、
戦前の教育によって、小さい頃から 兵隊さん(男性)は ただ正義を持って戦争へ行くのだと信じ、後に戦死されたお兄さまや婚約者の気持ちを分からずに 戦地へ送り出していたご自身を責めてのことでした。
あまりに強い「加害」との表現に、心から悔やんでおられる伊都子さんの気持ちが感じられて。
戦死したお兄さまが着ておられた紬を 仕立て直したものをまずお母さまが身に着けて、さらにそれを仕立て直して、伊都子さんが着ておられた上着は、大切にされてとてもきれいな状態でしたので、尚更心が痛みました。
随筆家としてスタートされたばかりの何もかもが新鮮な輝きの中にあった神戸での生活。
ぼろけた板塀を直すお金がなくても、身体が弱くて辛い日が多くても、夕方には溢れるように咲いて塀を覆う白い夕顔を愛でる心ひろやかな自由を得て、ひたすら著作に励まれていた瑞々しい時代を見せていただきました。
また私の拙い感想文ばかりになりまして。
手持ちの 岡部伊都子さんの「花のすがた」(創元社・1977年) の あとがきから、少しご紹介させてください。
物心ついて以来、無心に遊んだままごとの菊の花や、摘草のれんげ草。
思えばかぐわしい花の香りや、しめやかな生身の花の情感によって、人はどんなに心うるおうてきたことか。
いつも思うことながら、花が花として美しく在り得ぬ世に、人が人として無事に生きられるはずがない。
この度は、長い間 置いていました下書きから書いてみました。(さっぱり熟成できていませんが…)
今日も おつきあいくださいまして ありがとうございます。
春を待つ朝晩の寒さは まだ厳しいですね。
どうぞお元気でお過ごしくださいね🌿
「父母のしきりに戀し雉子の聲 芭蕉の句」(340×240m/m) 笈の小文