こんにちは。
立冬の声を聞いてから、暖かくなりました。
今日も 青空が広がっていました。
少し時間ができたので、山あいの美術館に アルフォンス・ミュシャ展を観に行きました。
ドライブするには いい距離でした。
丹波市立 植野記念美術館
もう少し離れて撮りたかったのですが、にわか雨が降ってきて 慌ててしまいました。内陸部のお天気は 安定しませんね。
立派な洋館で、玄関ホールは 2階から4階まで吹き抜けでした。 小さな美術館の企画展は アイデアが優れていることが多くて、楽しみなのです。
こちらのミュシャ展は、チェコのチマル博士のコレクションの一部とのことで、
ミュシャのギムナジウム時代の デザイン画「J」から始まり、女優サラ・ベルナールの舞台のためのポスターや、後年の「スラブ叙事詩」展のポスターまで 150点近くの 作品や写真などが展示されていました。
14才頃の 小さなデザイン画「J」は、後の アールヌーボーの旗手として 時代の先端を走り続けたミュシャの萌芽を感じる 柔らかい曲線をレタリングした作品でした。
「J」 ゆるりと流れる 薄青い色の太い線を 中央に置いて、回りを アラベスク模様を思わせる蔦のような 単純化された植物が取り囲んでいます。
ユリンカ(Julinka)という少女のイニシャルとのことでした。
続いて 白いハイライトを効かせた巧みなデッサンが 何点もありました。白色のハイライトは、グワッシュで描かれた挿し絵にも 効果的に使われていました。
このような感覚が、ポスターのような商業的な作品を制作する際にとても役に立っているようです。
連作が有名ですね。
こちらは 春夏秋冬 季節を描いたもの。
華麗な枠に囲まれて こちらを陶然と見つめる女性の髪は長く 植物のようにからだを包み込んでいます。
人生を季節に例えた作品では、年齢別に男性の一生が描かれていました。でも、そのそばには 季節を表す女性の姿が。
丸い金属板に リトグラフでエナメル塗装した皿。左の作品です。細かな装飾が 鮮やかに彩られていました。
底が窪んだ磁器に 細かい装飾画を印刷した皿も ありました。印刷の技法に興味がわきます。
パリ時代に サラ・ベルナールが デザイン事務所に 次の公演のポスターを依頼に来た時に、デザイナーは 皆クリスマス休暇を取っていて、残っていたのはミュシャだけだったそうです。
翌年の1月に 街中に貼り出された「ジスモンダ」のポスターが評判となり ミュシャは 一躍時代の寵児となっていったとのことでした。
「JOB」という煙草の巻き紙のポスターは、気だるい様子で 紫煙を漂わせる女性の姿(サラ・ベルナール)が美しい。
モエ・エ・シャンドン社のメニューの作品もありました。
こちらは お菓子のメーカーのゴーフルのパッケージのラベル。
ビスケットのポスター。商品より 女性を真ん中に描くミュシャの手法が新しくて もてはやされたとのことです。
複雑な歴史を持つ 故国チェコを描ききる集大成「スラブ叙事詩」の制作のための費用の資金集めもあって、ミュシャは アメリカに渡りました。
そして チャールズ・クレーンが パトロンとなって援助してくれることになり、チェコに戻りました。20年近くの年月をかけて スラブ民族の歴史や 物語を描いた20枚の大作「スラブ叙事詩」は、プラハ国立美術館にあります。
この写真は、「スラブ叙事詩」展の為のポスターで、モデルはミュシャ49才の頃の娘なのだそうです。こちらも見上げるほど大きなリトグラフ。
娘 ヤロスラヴァの意志を持つ強い瞳。 「ジスモンダ」の頃の 柔らかいまなざしの女性の描き方とは違った ミュシャの故国チェコへの 焦がれるような愛を伝える その表情に打たれます。
回りに誰もおられなかったので 作品の隅々まで 気が済むまで観せてもらいました。
これまで、美しい女性を描き続けたミュシャの作品に魅力を感じていましたが、強いメッセージのあるこの連作を いつか観てみたいとも思うようになりました。
この度は、丹波市立 植野記念美術館の 丁寧なパネルの解説と、展示室の前のフロアで流れていたビデオを拝見し(ちゃんと覚えて帰れるか心配でしたが…。)、自分の僅かな知識と感想を加えて 書かせていただきました。
ゆっくり鑑賞できましたので、年代順にミュシャの関心の行方をたどりながら 私なりに感じるところがありました。
絵は 絵葉書を使わせていただきました。
ご覧いただきまして ありがとうございます。
土日は お天気のところも 多いそうですね。こちらの山の紅葉は ちらほらです。どうぞ、よい週末を。
「何者かの投げた宝石が絃琴にあたり いにしえの歌となる」旅人かえらず(128) (125×165m/m) 西脇順三郎 詩 村上翔雲 書