野の書ギャラリー

書家村上翔雲の作品を少しずつご紹介させてください。日々の雑感もほんの少し

そぼ降る雨、西宮で。

こんにちは。

カサブランカが 満開になりました。f:id:snow36:20190725220526j:image

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妹から ある会に誘われました。

場所は 西宮で、父とご親交いただいていた詩人の 今村欣史さんが 経営されている 喫茶店です。

この度は、今村さんのご友人の

ドリアン助川さんの お話を伺って参りました。

長くなりますが、どうぞ よろしくお付き合いくださいますように。


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コーヒーフィルターに書かれた言葉は、今村さんから 妹へのお誘いです。

ドリアン助川さんのお話を間近で拝聴することは、今後多分ないと思う魅力的なお誘いでした。

そして 私のブログに時折 コメントをくださる今村先生、いえ 今村さんに(先生はやめてくださいと おっしゃってくださいました。ありがとうございます。) お目にかかって、ご挨拶を申し上げたいと、かねがね思っていました。

雨が降ったり、止んだりの日でした。

はじめましてのお店は、いろいろな方の 絵や書が飾られていました。f:id:snow36:20190720141608j:image

奥に 今村さんご夫妻が描かれている優しい絵。ご夫妻は、このままの方々でした。


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父の作品も飾ってくださっていました。

 

そして、この日は テーブルを置かず、30人ほどの席のソファだけが、お店いっぱいに並べてありました。花の香りが漂います。

 

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ドリアン助川さんは、ご自分の生い立ちの話をされ、ご自身が翻訳なさった

「みんなにやさしく」(パット・ズィトゥロウ・ミラー 作) の絵本と、

ジャン・コクトーの人生を描いたアルルカン(歌う道化師) としての活動の 語りと歌の舞台「クロコダイルの恋」のお話から、子どもたちのために作られた

「クロコダイルとイルカ」(ドリアン助川 作)の絵本を

途中解説を加えながら、朗読してくださいました。言葉からだけではなく、たとえば「クロコダイルとイルカ」では 旭山動物園の飼育員をされていた あべ弘士さんが描かれる生き生きとした絵からも 作者からのメッセージを受け取ります。

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他に、やはりご自身で翻訳された「星の王子さま」(サン=テグジュペリ 作) の一節や、子どもたちの詩が収められている こちらは何十年も前の(私も存じ上げている) お気に入りの本「一年一組 せんせい あのね」から いくつか 朗読してくださいました。かわいさの中に 忍ばされたするどい目線を持つ子どもたちの感性に 思わず笑みがこぼれます。

表情豊かな素敵なお声でした。舞台の方なのですね。

 

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そして、小説「あん」の創作についてのお話を聞かせてくださいました。

人は 何のために生きているのか。

バンド活動をされていた時に 深夜のラジオ番組を持っておられて、若いリスナーに 上記の問いを投げかけてみると、「社会の役に立つために」と答える人が多かったそうです。

若い人が 社会の役に立つために と、答える。それで、何のために生きるのか。をテーマに 「あん」を著されたそうです。

映画は たいへんヒットしたので、ご覧になられた方も多くいらっしゃると思いますが(すみません、私は 映画を拝見していないのです。)、舞台は、下町のどら焼き屋さん「どら春」。時給200円で雇われた徳江さんは、以前にハンセン病を患っていて 美味しいつぶあんを作ります。

ずっと以前に治療薬ができて、他の国では既に隔離を廃止していたのに、1996年になって ようやくハンセン病の隔離をやめた日本。

それから10年以上経っていても 差別や誤解の多い病気と、その事を扱う書籍を嫌う出版社。

 

映画の主役の樹木希林さんについての お話もお聞きしました。

小説を書かれる間に、主人公に 樹木希林さんをイメージするようになって執筆されたのだそうです。

有名な俳優さんなのに、初めての主役で 2015年の カンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニング作品として上映された時に、スタンディングオベーションが起こる会場の中で ドリアンさんのところに来られて「ねぇ、早く帰りましょうよ。」とおっしゃったことや、

ル・モンド紙が、樹木希林さんに向けて「抱きしめたい、抱きしめたい、抱きしめたい、樹木希林。抱きしめたい」と書いたこと。

 

徳江さんのモデルとなった方の お話もしてくださいました。

この方が 女学校に入った時に 経済的な理由で学校のお弁当に おかゆを持って行くうちに、「おかゆ」とあだ名されたこと。まもなく、ハンセン病を発症して 絶対隔離の病院へ行かなければならなくなった時に、車に乗せてくれる人もなく30kmの道のりを お父さんとふたりで 歩いて行かなければいけなかったそうです。

おかゆ」と呼ばれてもいいから、女学校へ戻りたかった。まだ若い方にとって 症状が進んでいくことが どんなに怖くて苦しく悲しいことだったでしょう。そして、長い闘病と快復した後も まだ続く 謂われのない隔離の生活が続きます。

後に この方を「おかゆ」と揶揄していた同級生は、ひめゆり学徒隊でみんな亡くなってしまったそうです。

昨日の ニュースで、安倍総理ハンセン病の方のご家族(原告団の方々)に謝罪しておられる場面が映っていました。家族の方まで 長い間ひどい差別を受けたという話でした。

 

ドリアンさんは、この小説を 3年間で 11回、すべて一から書き直して、書き上げられたそうです。病気の方が知り合いにもなく、調べれば 調べるほど 小説にすることに悩まれたとのお話でした。

こちらのモデルとなった方に 希林さんは 2回会いに行かれて、撮影までに、ひと月の間 4本の指を 左右それぞれ紐でひとつに括って 手指の歪んだ徳江さんの役作りをされていたそうです。

この小説を読むまで、私は ハンセン病の患者さんが、隔離されていたことを知っていたのに、その人生に、病気に、そして お気持ちに思いが至っていませんでした。一時的な感想を持っただけの自分の無関心に ようやく気づかされました。

 

 

映画にはなかった場面の 小説の中で描かれている、徳江さんから 「どら春」の店主の千太郎に宛てた最後の手紙を ドリアンさんは、温かい声で朗読してくださいました。

そこに、人は 何のために生きているのか。が書かれてありました。

静かな緊張がありながら 穏やかなときが流れていきます。

 

「あん」。どら焼き屋さんの店主 千太郎の 行きつ戻りつする細やかな心象に 共感を持ちました。淡々と語られる日々に 桜の花びらが織り込まれていきます。

素朴な焼き物のお茶碗に そっと盛られた温かいご飯を勧めていただいたように思う小説でした。

 

様々な思いが詰まったお話をお聞かせいただきました。贅沢な時間でした。

ドリアン助川さん 心に残る素敵なお話の数々を ありがとうございました。

 

今村欣史さん 素晴らしい会にお誘いくださいまして ありがとうございます。

奥さまの手作りの パイナップルやキウィの大福、柔らかい求肥の白餡に果物が とても美味しかったです。

 

緑のツートンカラーのタクシーを 今村さんのお嬢さんに呼んでいただいて、雨降る中を電車の駅へ向かいました。

電車から乗り換えた 高速バスでも、いろんなことを思い ぼんやりしていました。それでも、降りるバス停を間違うことのないほど 遠くまで乗って帰ったのでした。

 

夜の庭に カサブランカの香りが広がります。

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文章ばかりで 長くなってしまいました。ごめんなさいね。

いつも ご覧くださいまして ありがとうございます。

 


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「なんぢら多くの果を結ばば わが父は栄光を受け給ふべし  ヨハネ伝」(110×150m/m) 葉書より少し大きなサイズです。

 


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「しずかな山  しずかなわたし  重吉 詩抄」(190×300m/m)   八木重吉 詩         村上翔雲 書