こんにちは。
また急に冷え込んできましたね。
たいへん遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
雪が降り 少し積もっては解けるを2、3度繰り返して、辺りは枯れ枝ばかりで寂しくなりました。
折れた花が伏せてばかりのところに なんとか雪に負けずに立ち上がって咲いている水仙を見つけました。近づくとほんのり爽やかな香りがします。
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金曜日 用事の後に少し時間があったので 大きな公園へ回ってみました。
神戸の六甲山高山植物園や神戸市立森林植物園には行く機会がなくて残念ですが、こちらの県立森林公園も広々として落ち着けるところです。
森の遊歩道に入ると、椎の仲間のスダジイや樫の種類のアラカシが 冬でも葉が暗く茂る姿で立ち並んでいて 深みどりの空気に全身が洗われていくような感覚になります。木の匂い。葉の香り。暖かい日差しに新しい風が吹いてきて 鳥の鋭い鳴き声が聞こえてきます。
歩いていると、やがて枝ばかりの景色になりますが、すぐに気づくのは 蕾のうちから あちらこちらを向いて踊っているような親しみのある花を予感させる柔らかいコブシ。
灰白色の木なのでよく目立っていました。
空へ手を差し伸べているようなハナミズキの蕾。
逆光でうら寂しく見えてしまいますが、春先の白い花を想像すると わくわくいたします。木には、それぞれ名前が書かれた札が下げられているのでわかりやすいです。
こちらは、欅の木。温まった幹に手を当ててみます。
稲のような粒々が下がった雄花(でいいでしょうか) が楽しいこちらの木は、姿がよくて背の高いメタセコイアの木です。
いつの間にか30分も経っていることに気がついて、慌てて帰りました。
ニナシモネさんのブログから 「ザリガニの鳴くところ」ディーリア・オーエンズ 作 をご紹介いただいて読んでみました。
ニナシモネさん いつもありがとうございます。
舞台となる湿地では、動植物が豊かに育ち 四季折々の風景を紡ぎ出します。
素人説明のかなりいい加減なことですみませんが、海の水に押し流された砂や泥が溜まって堰き止められて湖となった潟湖(せきこ) がいくつもできた辺りに湿地はあります。
以前 息子から見せてもらった湿地に育つ食虫植物のタヌキモの黄色の花の写真の可憐さが忘れられません。
「ザリガニの鳴くところ」。 主人公のカイアが住む湿地に育つ濃い蔭を作る高いオークの木の下には、エンレイソウや白いスミレの咲く淡い陽だまりがあり、人から隠れるための読書小屋は、イバラの中を通る細い水路をボートで進んだ先に建っています。
湿地にはカイアの好きな場所があちらこちらにあります。
イバラの茂みはウサギの通り道。湿地の水を飲むオジロジカの親子。
海岸には カモメたちが飛び交い、カイアにそっと寄り添ってくれます。
自分の誕生日がいつか知らない小さなカイアは、秋の満月がお祝いにやって来るとお母さんから聞いていたので月を見ながら 7歳になったことを知りますが、
お母さんは出て行ったまま たったひとりで誕生日を迎えて、そばにいたカモメに「今日わたしは7歳になったの」と話しかけるのでした。
10歳の頃には 時々帰って来ていた父が帰らなくなり、人と出会うこともほとんどなくなったまま 湿地の中の家で生きていきます。
湿地にある家は、ハクトウワシ、ネッタイチョウ、ゴイサギたちの美しい羽が飾られた ひとりぼっちのカイアが一番安らぐ場所。
人恋しいのに 人が嫌い。幼い頃から厳しい道を歩む湿地の少女カイアの魅力は あまり書いてしまうとせっかくのミステリが楽しくなくなりますね。
作者のディーリア・オーエンズは動物学者とのことです。動物学者の書かれた本をあまり読んだことはないので何もたいした知識などないのですが、嵐のような出来事と対照的に描かれた物語の素地となる あらゆる生き物に対する愛情と豊かな抒情詩のような湿地の風景が強く響いて参りました。
「ザリガニの鳴くところ」の中で 強い差別や偏見を受けたために、学ぶことができないまま14歳まで字が読めなかった主人公のカイアが、その後勉強して読んでいた アルド・レオポルド「野生のうたが聞こえる」を興味深く思って検索してみましたら、実際に存在する有名なエッセイと知りました。
図書館にはなかったので、中古品を買ってみました。丹念な観察を重ねられ細やかに自然の息づく様子が趣深く綴られている本でした。
森林官であったレオポルドが 森や原野に棲む動物や植物を心から大切にしていたことが伝わってきます。
中でも「自然保護を考える」についての考察は端的でわかりやすく、生態系を守ることの必要性を繰り返し書かれていました。
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昨日は、26年前に阪神淡路大震災の起こった日でした。私の実家は震源地の淡路島に近いところで、激しく揺れましたが被災はしていませんでした。
あの時 生後1カ月で実家で治療待ちをしていた息子も今は26歳になりました。
今の時代に経済を優先せざるを得ないことは理解できますが、自然を舞台にした小説やエッセイを読んだり いなかの森や農道を歩いていると、
自然の一部の存在に過ぎない人間は、自らの価値観を振りかざして驕ってはいけないと つくづく思います。私も自分を省みなければなりません。守るべき大切なことはもっと違うところにあるのですね。
久しぶりにブログを書きましたが、都合で3月頃まで またお休みいたします。小さな事業所ですのに 確定申告にしばらく振り回される予定です。お恥ずかしい…
全く離れるのは寂しいですので、休んでいる間も皆さまのブログを時々拝見させてくださいね。
戻りましたら、またよろしくお願いいたします。
お身体を大切になさってくださいね。
いつもご覧くださいましてありがとうございます。
「烈風の水仙にさす陽のひかり 峰夫 句」(69×69.5cm) 軸装 Ⅵ 補陀落 石井峰夫 句
「待っていたような気もする地の怒号 新子の句」(68×69cm) 時実新子 句 村上翔雲 書
明石市立文化博物館 所蔵 2点とも (作品 15・28)