こんにちは。ご無沙汰しています。お久しぶりですね。
お元気でいらっしゃいますか。
昨日の朝は 吹き荒れる雨の音が明け方まで続いていました。
近くのお寺の梅が 優しい香りを放って咲き始めたのは、義父の初七日の頃でした。よく晴れた日でした。
スマートフォンは、私の撮り方では相変わらずきれいに写せません。
季節が巡り、暖かな日差しにほっと和みます。
昨年6月に、義父は療養型の病院へ移りました。
その節には 優しいコメントをたくさんいただきました。ありがとうございました。
今年になって 1月の終わり頃 危篤の状態との知らせがありました。
2週間後、義父は亡くなりました。最後の5年は、意思の疎通が難しくなっていた義父。長い間 施設や病院のお世話になりました。穏やかな最期と聞きました。
昨年病院に移ってからは、家族の見舞いでも病室へ入ることが叶わなくて、
電話で教えてもらうか、モニターで見せてもらうことで様子を知るようになりました。要介護認定を受けている義母には 寂しく辛い思いをさせてしまいました。
ここに書く言い訳を考えるような私ですが、何をどう言ってももう仕方がないことですね。お義母さん ごめんなさい。
などと謝りながら、告別式の翌日には お恥ずかしいことに雑用をする私が何故か寝込んでしまい、
仏さまのお膳も出せず 四十九日まで続く (実際には三十五日辺りまでだそうです) 西国三十三所ご詠歌にも初日から参加できませんでした。
昨年の6月には、枯れるように亡くなるのを 見守りながら看取るということを、家族の誰もが受け止めきれなくて悩みました。
植物が枯れるように 次第に食事も水も受けつけなくなり、体が枯れるまで生ききる様は 本来の姿なのでしょう。 それを見守る覚悟がありませんでした。
結局 最後の7ヵ月ほどは会えなかったので、見守るどころか 昼夜を分かたず痰の吸引を毎日10回もしてくださるような手厚い看護の病院にお任せの状態でした。
心配したり悩んだりした割に、大した行動もしないまま日が過ぎて、
看取りではなく、こんな風な見送りをした私などが 何かを思って書くなど本当に厚かましいのですが…
今日一生
過去に二度 出させていただいた父の作品です。
昨年は、高齢で弱っていく義父のこともあり、さらに知り合いが何人か亡くなったこともあって、繰り返し眺めた書でした。
🌿
unibabaさんは、美しいブログを書かれる方です。何より 私の考え方を広げてくださる方です。
かなり前に 私のブログで 「今日一生」の作品をご覧くださった時に、カーペンディウム というラテン語の言葉を教えてくださいました。
「今を生きる」「一日の花を摘め」
今日を精一杯に咲く人生の日々。小さな花々。
この言葉を胸に一日を大切に生きていきたいとおっしゃっておられました。
ブログを拝見していますと、一度限りの今日の日を心を込めて過ごしていらっしゃるご様子が穏やかに伝わって参ります。
オオイヌノフグリ 一日花の青い瞳
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そして、思遠さんは、思遠さんの スペインの340kmもの道を巡礼される方々のお話のブログを拝見して 書かせていただいた私のコメントに、こんな言葉をくださいました。
(下の文章は、
去年、我が家のご近所で 25年間闘病が続いたご主人を見送られたばかりの方が、私たちがお参りに伺ったことへのお礼に来られて「(ふたりで) 今日を精一杯生きて来ました。」と涙されたことがありました。そのことをコメントの中で書かせていただいた折の思遠さんからのお返事です。)
snow36さま、大事な方の訃報は残念ですが奥様のお言葉に感じ入りました。
生きることと同様、死にも意味があると言い切るフランクルは、仏教の「生死」(しょうじ)という二つを分けない考え方と似ていると感じます。
奥様もご主人と一緒に精いっぱい生きられてこられたからこそ、その言葉がとても重いと感じます。
和尚様は「生きて半生、死んで一生」と話されます。その言葉にハッとしたこともございました。ご主人は闘病され立派に一生を全うされたのですから、奥様も時と共に癒され充実されることを祈ります。
人生の小さな花々に出会うのは、大変なことを乗り越えるからこそ、と私は信じています。お互いに学びがございます、私の方こそよろしくお願いします。
unibabaさん、思遠さん、ありがとうございます。
思遠さんには 許可をいただかず使わせていただきました。申し訳ありません。
いただいた言葉に 私の感想などは無用なものですね。
昨年義父のことで 皆さまからいただいたあたたかなコメントと、別の機会にいただいたおふたりの言葉を何度も読み返しました。
病院のコロナの対策のため、面会ができなくなって じりじりとした思いはありましたが、一方で 義父のことについて落ち着いて考える時間がありました。 家族で繰り返し話をしました。
80歳を過ぎても 機械油であちらこちらが黒くなった作業着を着て、曲がった指で加工の仕事を続けた義父。たとえ私たち他の家族が休みの日に遊びに出かけても、お休みは ずっとお正月の一日だけでした。
かなりのマイペースでした。続けて休んだのは 病気で仕事ができなくなって辞めた時でした。
それしかできることはなかったのかもしれません。
こちらでは 亡くなった人は、病院から自宅に一旦帰ってから 和尚さまに枕経をしていただき、家から出棺をして斎場へ向かうのですが、
コロナの影響だけではなく、仕事を辞めて10年近く経っていて、義父はどなたとも疎遠になっていたこともあり家族葬にしたところ
出棺の時には 家の周りに集落の方が大勢お別れのために待っていてくださいました。
近くに住むわずかの親戚と家族だけの斎場には、係りの方も 届けてくれたお花屋さんも驚かれるほどのお花が 親しくしていただいた方々から届けられていました。
花の香りに満ちた空気の中で 硬いお式の場がほどけていくようでした。
枯れるまで生きる。
動ける間は、仕事ばかりして過ごした年月。
ささやかな人生の小さな花々。
私の知らなかった義父の人生を思って過ごした時間でした。
今は 私にできることをして参りましょう。
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おとうさん、
今頃は 友達とお酒を飲みながら 「梅は白いのがええのう。」なんて のんびりおしゃべりでしょうか。どうぞゆっくり休んでくださいね。
おとうさん、ありがとう。心配しながら何もできなかった頼りない私なのに いつも頼りにしてくれましたね。おかあさんのことは 私たちに任せてくださいね。大切にしますから。
日が長くなった2月の半ば。お通夜を終えてお帰りになる和尚さまをお見送りする薄縹の空には、銀色の三日月が細く浮かんでいました。
長らくお休みしている間、説明のないまま全くブログから離れていた時にも いつもどなたかがお立ち寄りくださり、コメントまでくださる方もいらっしゃったことを心から感謝いたします。
いなかのことですので、普段に戻るまでしばらくかかりそうです。お葬式の後は自宅に設えた祭壇に向かい 毎日のご詠歌や 七日ごとの逮夜など。私たち家族は 時間をかけて義父を見送り義父と岐れ、気持ちを整えてまた日常に戻ってくるのですね。
暖かさに揺り起こされるように、クリスマスローズが咲き始めました。風はまだ冷たいながら こちらにも晴れやかな季節が来るのも もう間もなくです。
1ヵ月先になるかもしれませんが、またお目にかかります。
今日も拙いブログにおつきあいくださいまして ありがとうございました。
「愛」色紙 額装 書はいずれも 村上翔雲