こんにちは。
暑い季節に咲く花に ルリヤナギがあります。
白を加えた薄萌黄の細長い葉も とても美しいのですが、葉にばかり焦点が合ってしまいました。
少し乱れた様子も儚げに咲いています。
この度は、ご近所のお庭を撮らせていただいています。こちらのお宅の方が 少しずつ分けてくださったので、ご近所のどちらのお宅の庭でも ルリヤナギが咲いています。
我が家の庭にも 以前株分けをしていただいており、忘れずに枝を伸ばして 花を咲かせてくれました。
こちらのお庭の ルリヤナギのそばに植えられているカシワバアジサイが 6月の白い色から ゆっくりと衣替えをしています。
6月のカシワバアジサイは こんな感じですね。
きれいなものを見たくなると、こちらに来てしまいます。このお庭は そんな場所です。
ランタナも咲いていました。和菓子のように かわいらしくて、夏のさなかにも強い花ですね。
私には珍しく、朝5時前の風景です。山の向こうに 終夜操業の工場の丸い煙が 小さく見えます。
今週の月曜日は 静かに明けていきました。普段の慌ただしさのない お盆休みなので、少し散歩をする時間も 車を洗う時間もありました。
しばらく歩くと 白い百日紅が、朝日に染まって佇んでいるところに出会います。気づかずにいた花の香りが 南風に乗り 微かに優しく漂ってきました。
この後 家族でお墓参りに行きました。義母が 小さな声で 般若心経を唱えました。クマゼミが鳴いています。
今日は、石井峰夫(いしい みねお)さんの句を ご紹介させてください。
以前 どうして石井峰夫さんが この句を作られたのか、どんな方なのかと、お尋ねいただいておりました。
先日 ようやく実家に行きましたので、少し調べてみました。遅くなり失礼いたしました。
妹が 資料にと 石井峰夫さんの唯一の句集を用意してくれていました。お尋ねの答えになってはいないかもしれませんが、ご覧いただけましたら幸いです。
石井峰夫さんは、よく父の家にいらっしゃった方で 妹も覚えていました。「お酒を飲まれると すぐ赤くなられる方」(本当にすみません!)など 作品に関係のないことまで覚えておりました。師匠の 永田耕衣(ながた こうい)さんを阪神淡路大震災の時に ご自宅に一時引き取られたことも申しておりました。
石井峰夫 俳人
1944年(昭和19年) 戦争中に 商業高校から、工業高校になっていた 現 尾道商業高校で、俳句の指導を受ける。私の父とは 同窓です。
1950年(昭和25年) 様々な俳句活動を続けながら、学業を終えて 神戸税関に入管。
1956年(昭和31年) 俳人 永田耕衣 主宰の「琴座(りらざ)」の同人となる。
阪神間を活躍の場として、俳句を発表し続け 他分野の 大勢の文化人と交流。
石井峰夫さんが亡くなるまで、師でいらっしゃった永田耕衣さんは、最晩年まで 積極的な創作活動をされていました。永田耕衣さんの俳句は、また改めてご紹介させてください。
石井峰夫さんが亡くなられた[1996年(平成8年)] 後に、父も発起人の一人に加えていただいて、石井さんの句集を出版したそうです。(「現代俳句の展開50 石井峰夫句集」 の略歴を参考にさせていただきました。)
以前 拙ブログに 掲載させていただいた
「ほうたるの泣く火と思う彼方かな」
は、遺された句集「石井峰夫句集」の「Ⅷ 天体」(平成5年〜8年作品) に収められています。
こちらの「天体」は、阪神淡路大震災(平成7年)があった頃で 震災を詠んだ句も多くあります。「ほうたるの…」は、震災前の作品かもしれません。句の詠まれた背景は わかりませんでした。
素人の感想で申し訳ありませんが、寄辺のない繊細な心の底に 深く流れる抒情を感じます。
「月色の少女を娶る杉のように」(Ⅱ皺) (125×50m/m)
「石井峰夫句集」の500部に 父も500点の書を書かせていただいておりました。この句は、石井峰夫さんの代表作とのことです。月明かりに照る杉の葉を思わせる銅色の繊維を 灰青の地にランダムに散らしてある紙に書かれてあります。
季節は異なりますが、震災のことを詠まれた句を一つ載せさせてくださいね。
「寒の地震 本来無一物とのみ 峰夫の句」(Ⅷ天体) (300×195m/m) 以上すべて 村上翔雲 書
今回は、少し硬い調子のお話になりました。
普段は 自分の好きなことを書いておりますが、たまには、父の仕事に関係するお話もと思っております。(元々 そういうブログなのでした…。)
12日 月曜日の夕方 6時の眺めです。この時期の眺めは、豊かに広がる恵みを感じます。いつまでも 続けばと思います。
台風10号は、雨の量が極端と聞いております。どうぞ 被害が広がりませんように。
最後まで ご覧くださいましてありがとうございました。