野の書ギャラリー

書家村上翔雲の作品を少しずつご紹介させてください。日々の雑感もほんの少し

墨の薫り

こんにちは。 

(こちらは、記事のリンク先を訂正させていただいたものです。shoyoさんのところへ行けなくなっていました。訂正してお詫びします。申し訳ありませんでした。)

shoyoさん  『106歳を生きる 篠田桃紅ーとどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち』展のチラシ/YouTubeから - エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ   

涼しくなりましたね。お元気でいらっしゃいましたか。

最近は 毎朝 桜の葉を掻き集めるように 掃除しています。しばらくすると 枝だけになりますね。


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金木犀の香りが 湿りを持つ空気に漂い出しました。

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先週、神戸市東灘区御影にある 香雪美術館へ参りました。画家 篠田桃紅さんの作品展を拝見しました。どうぞ よろしくお付き合いください。

「篠田桃紅  (106歳を生きる)  とどめ得ぬもの  墨のいろ  心のかたち」

 

少し前に、shoyoさん (『106歳を生きる 篠田桃紅ーとどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち』展のチラシ/YouTubeから - エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ)がブログに 篠田桃紅(しのだ とうこう)さんについてのお話と 篠田桃紅さんを特集した番組の動画を載せておられました。

shoyoさんは、本や 音楽、植物や お料理など 幅広く書かれていらっしゃいます。どのお話もたいへん印象深く、いつも楽しみに拝見させていただいています。

shoyoさんの 篠田桃紅さんの展覧会についてのブログを拝見して、そして 気づけば 1時間近くの 息を飲むようなドキュメンタリーの動画に釘付けになり、「行かないと、後々後悔する」と思い 9月になり出掛けてみました。

 

阪急御影駅から 東へ南へと 細い住宅街の道を辿ります。瀟洒な建物が並ぶ落ち着きのある通りでした。

神戸は 表情豊かな街なのだと 改めて思います。
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右の弓弦羽神社と道を隔てて 左の石垣、香雪美術館は 庭の樹木が濃い蔭を作る美しいところです。



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篠田桃紅さんは、書家であり、水墨抽象画家で 随筆家です。

初期は 中原中也の詩「山のひととき」を二曲一双屏風に描かれた「山上のひととき」(1952年)。萩原朔太郎の「大佛」を和紙に墨で書かれたもの。風に揺らぐ柳の葉を思うような動きを感じる文字でした。

 

ニューヨーク時代を経て、銀地やプラチナ地に 銀泥の飛沫がつくる偶然の妙の合わさった作品。

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「月読み moon」(149.0×104.0cm) ( 1978年)

 

「越くら山」百人一首カルタ (2011年 ) は、華やかな唐紙の台紙に 書かれた字も涼やかです。

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「人はいさ 心もしらずふるさとは 花ぞむかしの香ににほいける 紀貫之

 

 

作品が 大きなものが多いので、大きな硯に 墨を磨る作業ひとつ取ってもたいへんでしょうし、 描き上げる集中力も 並み大抵なものではないと名筆研究会の先生がおっしゃっておられましたが、素人の私も驚きました。

間近で じっくりと拝見してみますと、地に塗られた色が 角度によって変わります。プラチナ地 ですが、抑えた照明を受けて 碧く鈍い光を放っていました。   

抽象画は、私などでは 主題がわからなくなることも ままありますが、篠田桃紅さんの作品からしんしんと伝わってくる印象は、端然とした空気の中に 豊かで温かいものが溢れているようでした。森の中に溶け込んでいくようでした。

 

篠田桃紅さんの仕事部屋を shoyoさんのブログの動画で拝見しました。いろんな種類の和紙が くるくると巻かれ 無造作に積み上げられた棚。作品を描く大きなつくえ。大きな硯。特注の長い筆が並んで吊るされている壁。墨と紙の薫り。「墨が私を戒める。『あなたは まだこの程度だよ。』」(NHKドキュメンタリーより)

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かましくも 自分の父のささやかな思い出と重なり、胸に迫ってくるほど懐かしい光景でした。


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「暁 Daybreak」(208.5×148.0cm)  (2007年)かなり大きな作品です。

墨の濃淡による表現には限りはないのです。

 

自由とは、自ら由(よ)るということ。自由であるということは、独立する人間であるということ。という内容の篠田さんの文をコピーした紙が ガラスに張られていました。

 

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受付の向かいの棚に、展覧会の絵葉書や小さな品物が並べてありました。ふと見ると、装丁やサイズの異なる本が目に入りました。篠田桃紅さんの著書を読んでみたいと思いました。

 

篠田桃紅さんの「その日の墨」(河出文庫・1983年刊)。清冽な急流を眺めるような思いで 拝読しました。一見すると 若々しく、強く揺るぎのない文章からは、迸る言葉の連なりそのままの方なのだと思いました。

しかし、読み進めると この印象は、次第に 端然とした佇まいの それでいて しっとりと艶やかなものに変わっていきました。お人なりも違うでしょうし、文体も異なるのですが、野上弥生子さんの随筆を思い起こしていました。 

書や、季節、百人一首万葉集、花ざかりの桷の花と山中湖などの自然への思い、焼き物、綾な着物考、篠田桃紅さんの目に触れるものすべてへの美しい一言が 心に残っていきます。

女学校時代には、制服はないものの スカートの襞の数や色を咎められることがあり、「これは私に似合うと思うので」と返したこと、

当然結婚をと思われるお父さまに 何とか独りでやってゆきたいと家を出たこと、特に若い女性には、慣習の壁が張り巡らされるような時代だったことでしょう。

1956年当時 民間人が海外へ行くことは とても難しかったのに ニューヨークで個展を開こうと渡米された折りに、作品を包んだ和紙の美しさや保護のために当ててあった杉板の香りに MITの教授が 驚かれたこと、

ニューヨークで名の通った画廊に認めてもらって個展を開くために、残り3週間のビザを 2年滞在にしてもらうために奔走された逸話など、興味深いお話が続きました。

「私のかたち」を創りたくて描き続けられておられる しゃんと背筋の伸びたお姿が、とても眩しく感じられました。外圧は とてつもなかったことと思います。

例えば 「内的制約は際限がないから、外的制約よりはるかに苦しみを課すものだ」と。迷いなく自分の思う方、感性に従って 間違うことなく選び取っていく正確さ。潔さ。

他におもねることなく、自分を信じて疾走していく様は、作品に昇華されているのですね。

「芸術は 感覚的に本質に向き合いたくなる人生の真理の一端を 静かに垣間見せてくれる気がします」shoyoさんのこちらの ご感想に共感いたしました。

shoyoさん ありがとうございます。

今日も ほとんど、私の拙い感想文になってしまいました。篠田桃紅さんの「その日の墨」から 一節をご紹介させてください。

「内包の溢れるものが持つ、ゆたかで明るいひきしまったいろ、山の冷気が凝ったかと思う果実のつめたさ、と、その色のあたたかさ。 」その日の墨・朱華  「柿の実」より。

 

 

六甲山が 見えます。マルーンの電車に乗って三宮へ、そして乗り換えて帰っていきました。


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木槿は、夏が過ぎてから盛んに咲き始めて 元気そうにしています。

 

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日曜日の 神戸新聞俳人 伊丹三樹彦先生の訃報を知りました。「写俳」という俳句と写真を融合した表現が 心に残っています。

父も 伊丹三樹彦先生を尊敬し、先生の俳句を書で表現して、個展も開かせていただいておりました。

遥か昔、父の名筆25周年記念の折りには、私まで写真に撮ってくださったことを覚えております。

伊丹三樹彦先生のご冥福をお祈りいたします。

 

今日もご覧くださいまして、ありがとうございました。

 


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「蝶とすれ違う 海峡のまっただなか  三樹彦の句」(195×350m/m)  伊丹三樹彦 句       村上翔雲 書