野の書ギャラリー

書家村上翔雲の作品を少しずつご紹介させてください。日々の雑感もほんの少し

小さな歌

こんにちは。

こちらも先週 梅雨が明けました。お元気でいらっしゃいますか。

 

f:id:snow36:20200801101019j:image

 

ご近所からミョウガをもらいました。

f:id:snow36:20200801164606j:image

我が家でも植えてみましたが、繁った葉っぱに雨がえるが留まっているばかりで まだ出てきていません。

いただいたミョウガを量ってみると150g 以上ありましたので甘酢漬けにしてみました。(多分 去年どなたかのブログで拝見したと思いますが…すみません。どなただったのか控えるのを忘れていました) 

f:id:snow36:20200801164638j:image

さっと湯がいて甘酢に漬ければ、翌日には明るい赤紫に。

f:id:snow36:20200801164656j:image

f:id:snow36:20200801234807j:image

またぶれてしまいました。更に数日経ったもの。

こちらを縦に細切りにすると、食感もよくなり いい箸休めになりました。

 

 

 

☂️

雨が強く降った午後、濡れたベランダに小さい蝉が落ちていました。

珍しくて そっと拾い上げてみます。

4cmもないニイニイゼミ

蝉を触るのは苦手ですが、重みも温度もないこの蝉の翅は、私が思うよりずっと薄くてやわらかでした。

地味な色めの翅には精緻な模様。ニイニイゼミの鳴き声は、後から追いかけるように羽化して鳴き始めるアブラゼミからすると、やや硬質な音のようにも感じますが 控えめでそれほど耳につかない気がします。

小さな歌を奏でた蝉。捨ててしまうのも躊躇われて木槿のそばに埋めました。

 

 

🍀

新聞の切り抜きを時々しておりまして、1カ月に一度載る木皿泉さんの「木皿食堂」という随筆を楽しみにしています。木皿泉さんは、脚本家で小説家です。ご夫婦おふたりでのユニットのお名前ですね。

「すいか」、「野ブタ。をプロデュース」や「Q10」など意外性があって心に残るドラマを書いておられます。

 

今年の始めの 「木皿食堂」では「見えないのにある 」ということについて書いていらっしゃいました。

ご主人の方の木皿泉さんは、子どもの頃に友達から「そうかぁ。お前は 24時間障がい者なんやなぁ。」と言われたそうです。その友達は 自分が知らない時間でも、木皿さんが ずっと障がいと一緒に生きている日常にふと気づいたとのことでした。

 

あるのに見えないものとは こうした気づきであったり、「もうこの世にはないのに、心から思わずこぼれるように落ちてくる」かけがえのない思い出のようなもののことで、

「見えないのにあるもの」を誰もが持っていることを思い浮かべられるのであれば、

「今夜、寝る場所のない人がいる。どうにもならないことを、少しのお金で請け負って格闘している人がいる。」ということなどを想像する力を 私たちは持っているのだとのお話でした。

 

 

かなり以前に BSで放送された木皿泉さんのドラマ「昨夜(ゆうべ)のカレー、明日のパン」の中で、

登場人物である まだ若い一樹の病状とこれからのことについて主治医から説明を受け、夜遅く帰るギフ(義父ですね)と一樹の嫁のテツコの道すがら、そこだけ暖かな灯りをともして仕事をしていたパン屋さんがあることに気づく一節がありました。

すべてが終わってしまう打ちひしがれた辛い気持ちと、パンの焼ける香り。

ギフとテツコは 温かい猫を抱くようにして焼き上がったばかりのパンをかわりばんこに抱えて帰ります。人は悲しみの中にいながら、幸せな気持ちにもなれる。繋がらないようで、心の中で一緒に存在する感情。

 

木皿泉さんのドラマや小説のそこここに置かれた小さなモチーフは、まるで新鮮な初夏の空気が吹き込む小さな風穴のようで、

どんなことがあっても また明日を迎える平凡な日々の暮らしをこそ大切にしなくてはと改めて思うのです。

 

 

***

去年の今頃は 連れ合いの伯母の四十九日が明けるまで、日が暮れると毎日ご詠歌を上げていました。

夕間暮れから小一時間、ひんやりとしたおりんの音と 前栽からヒグラシの声が静かに響いてきたことを思い出します。

 

 

夏のお花。

f:id:snow36:20200801093830j:image
f:id:snow36:20200801093817j:image
7月の中頃に、国道沿いのひまわり公園が満開になっていたのに気づきました。

用事のついでの短い時間に寄らせてもらいました。

 

f:id:snow36:20200801101946j:image

この頃は強い雨の続いた後でした。無造作に咲いた花姿も美しく健気に感じます。

香りはあまりしない植物ですが、空気が清々しく気持ちのよいところでした。

こちらは 7月の終わりにひまわりの花の摘み取りをさせてもらえます。秋になると一面のコスモス畑に模様替えされます。

 

 

月明かりが冴えざえと 屋根や咲き始めた百日紅を浮き上がらせています。辺りが照り映えて、山の稜線がくっきりと見えています。 

お話したいこともありますが、まだ少し早いように思います。またの機会にいたしましょう。

次回は、お盆明けにお目にかかります。

 

いつもご覧くださいましてありがとうございます。

f:id:snow36:20200801180915j:image

 

f:id:snow36:20200803225538j:image

「天窓よりうすら日あかき洗膾(あらひ)かな」(210×300m/m) 玄玄・海鳴り 赤尾兜子(あかお とうし) 句

 


f:id:snow36:20200803225534j:image

「呪はれたる第六日の所産

まことわれら すでに孤獨に慣れて喜怒哀楽 すべて そのうちより感ずることをうべければなり 砕花詩抄」(300×200m/m) 富田砕花 詩  村上翔雲 書