野の書ギャラリー

書家村上翔雲の作品を少しずつご紹介させてください。日々の雑感もほんの少し

秋に憩む

こんにちは。今日は寒い雨でした。

晴れた昨日に 家の近所を久しぶりに歩いてみました。

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高い空に雲が流れます。

最近は、普段より用事が立て込んで しばらく歩いていませんでした。

 

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イヌタデの咲く原を過ぎると、小さな水路の奥の方までミゾソバが咲いていました。後ろで枯れたように何本も立っているのは、穂が綿となって散り終えた蒲です。

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イヌタデミゾソバも、可憐な花は花びらではなくて萼なのですね。そんな花が多いことを知るようになりました。

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使われなくなったコンクリートの焼却炉から、イヌタデがこぼれるように咲いていました。咲きだしてから かなり経ちます。

引いてから焼こうと捨てられたものが根づいたようです。それでも長く咲き続ける野の花の気丈を感じて ここを通る度に眺めてしまいます。

 

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青みのある赤い花は、ノアサガオの仲間でしょうか。朝夕と寒くなってきていますが、しぼんでは新しい花が咲いています。

 

f:id:snow36:20201105194949j:image庭に戻ると、アカタテハが飛んで来ました。放ったらかしになっていたオレガノ・ケント・ビューティを切ろうとしていたら、怖がらずにそばを飛び続けて私の肩にまで しばらく止まってくれました。

ちょっと(いえ、かなり) お見苦しい環境で 日向ぼっこの蝶々にはお気の毒ですが…。秋らしい色合いの翅ですね。

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🍂🍁

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連れ合いが 新潟へ用事で出かけました。写真の丸いタンクの上辺りに 八海山が写っているのだそうです。左に中ノ岳、駒ヶ岳が並んでいるのですね。

 

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伺った先でいただいたものもあります。自分で買ったお土産のお米は義弟に、小さな大吟醸は息子にと渡していました。

f:id:snow36:20201107222221j:image息子の八海山を少しお相伴させてもらいました。すっきりと飲みやすくて常温でも美味しいお酒ですね。

 

これからの季節の水炊きには欠かせませんので、私は かんずりが一番嬉しく思いました。

写真には半分しか写っていませんが、右端の かんずり酒盗には嵌ってしまいました。カツオの内臓に合わせたかんずりが 唐辛子と麹と柚子でできたものだからか辛みも柔らかで旨みが豊かです。

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笹団子は、清涼な香りがする笹で包んで藁で結えてあります。端を持って引くと するっと解けます。結び方を面白く思いました。ヨモギのお団子はもっちりと柔らかくてこし餡は素朴なお味がします。あっさりとしていて 美味しくいただきました。

 

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娘から どんぐりの写真が送られてきました。

コロナのために あまりお出かけができないので、1歳児のクラスも秋を楽しめるようにと 拾ってきて煮沸したものを園庭に置きます。みんなでささやかなどんぐり拾いです。

すぐに口に入れてしまう年齢なので、目が届きやすくするために、9人をいくつかに分けてやってみたそうです。

みんな 顔を輝かせて、何やらお喋りしながらにこにこと小さな手で拾っていたとのことでした。

そろそろイヤイヤ期に入るお子さんもいたり、お迎えを待ちかねて夕方に機嫌の悪くなるお子さんもいるようですが、

どの子も とてもかわいいと言います。

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先日、就活中の大学生が生まれたばかりの赤ちゃんを公園に埋めてしまった事件を聞きました。電話をかけてきた娘とそのことについて少し話しました。

どんな事情があったのかはわかりませんが、お腹に命が育つ感覚を長く持ちながら、相談できる人がいなかったのなら 辛い日々だったでしょう。相談する必要すら感じなかったとまでは思いたくありませんが、そうだとすると あまりにひどいことです。

たとえどうすればよいのか分からなくなっても、居ないことにできるものではない現実です。

生まれてきたばかりの命をなぜ手にかけてしまったのか。

その先を考えてみることはできなかったのか。

心が痛みます。

娘とふたりで亡くなってしまった赤ちゃんのことを思いました。

 

保育士さんは皆さんそうなのでしょう。就職して2年目の娘も 担任している子どもたちの服を畳む時に 匂いで誰のかがわかると申します。着替えた服に名前が書いていなくても 柔軟剤の香りに紛れていてもわかるのだそうです。親御さんなら尚のことでしょう。

どんな理由があったとしても、お母さんとして赤ちゃんを可愛がってほしかったと言っていました。時に面倒でも疲れてしまっても 子どもが一歩一歩と成長していく喜びが きっとわかるのに。

 

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暗いお話になりまして。次回は、西国三十三所のひとつのお寺へ伺ったことを書いてみようと思います。山の上のお寺では紅葉が始まっていました。

今日もご覧くださいましてありがとうございます。

 

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「葉鶏頭 池に沈みし百の蟹 兜子の句」(210×300m/m)  玄玄・時雨月・一休寺 赤尾兜子

 

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「自分の中に神が宿っていることを意識して 神とともに神の中に生きることだ そして 言葉で神を定義しようなどと試みないことである トルストイの言葉」トルストイ  村上翔雲 書