こんにちは。
兵庫県丹波市青垣町桧倉に、高源寺 という天目かえでの美しい古刹があります。
高源寺の道路を挟んで 向かいにある 細い道を入って行くと、突き当たりに 小さな川、清水川が流れています。そこに 桧倉自治会の方々が 大切に保護しておられる バイカモ(梅花藻)の群生地があります。
今日は、お寺と清流の花を ご紹介させてくださいね。 (申し訳ありませんが、ちょっと 長くなります。)
まず 高源寺の お話から。
ご本尊は、釈迦如来。 座像です。
1324年、鎌倉後期の創建。
1325年、後醍醐天皇により「高源寺」の号を賜る。
秋には、天目かえでの紅葉が有名で たいへんな混雑ぶりを見せます。
参道の入り口には、見上げるほどのお地蔵さんが立っておられました。(うっかりして写真に撮らせていただいていないのですが、お地蔵さんに関することを 後ほど。)
水路の向こうに 頭に被るように 美しく保護された茅葺き屋根を眺めます。
長閑な 山の風景が 優しく迎えてくれます。
惣門
惣門を入ると、小さな葉がかわいらしい天目かえで。
山門 (三門) 。 前に来たときにも思いましたが、山門への石段は、壁のようです。
山門の奥には 仏殿。 釈迦如来座像が お祀りされています。
ここからは見えませんが、仏殿の側に 見上げる高さのコウヤマキが立っています。
常花の奥に 釈迦如来は、静かな優しいお顔をしておられました。
写真は 撮ることができませんので、お参りだけさせていただきました。
日差しの強い日でした。
緑陰の涼やかなこと。
ここからは、バイカモ(梅花藻)の写真をご覧ください。
去年 花の時期を見逃したので、今年こそは 見たいと話していたら、ちょうど新聞に載っていたのでした。平日でしたが、少し暇でもあったので、私だけ抜けさせてもらって出かけました。
こちらの群生地は 高源寺の向かいにあるので、車は 置いたまま 道路を渡って 民家の脇の道に入ります。
側のお宅から 自転車に乗ったご主人が出てこられたのに、つい 簡単なお辞儀で済ましてしまいました。間違いなく、バイカモの世話をされておられるお宅の方でしょう。失礼なことをしてしまいました。
田んぼの広がる山の梺。こちらの清水川は、小さなバイカモの花に 遠くまで埋め尽くされています。
この日は、水位が少し低くて 流れがあるところと 貯まっているところがありました。
シオカラトンボか、コフキトンボでしょうか。白くけぶるような青藤のトンボが 川面を つい と、静かに飛んでいきました。
土手の上からなので、あまり踏み込むことはできませんでした。はっきりと撮れていなくて申し訳ありませんが、水に揺らいでいる藻の間から どの花も 小さな顔を仰向けて 微笑んでいます。
「キンポウゲ科の沈水・多年性水草。水温15度前後を保つ澄んだ湧き水を好み 川の水底に群生し、流れに沿って這うように育ちます。大きい物は長さ1m以上になります。初夏から晩夏にかけて水面上に梅の花のような白い花が咲きます。」
5月15日の神戸新聞の記事を読むと、ここ清水川のバイカモは、台風や水枯れなどにより何度か消滅したそうです。水量を保てるようにポンプを整備されているとのことでした。
小川の中に揺蕩う 藻のような葉に 白い花。
静かな水面を見つめていると、時間がゆっくり過ぎてゆくようです。
🌿🌿
帰ってから 写真を見ていると、トンボが写り込んだものがありました。どうにも要領が悪くて 写真も度々残念なことに なるのですが、
偶然 何か赤いものが見えることに 気づきました。
不鮮明で 申し訳ありません。あまりにも小さく写っていたので、スマートフォンに きれいに送れず 、カメラの画像を引き延ばしたものを そのままスマートフォンで写してみました。(普通は こんなことはしないのでしょうね)
「そら、翅やろう。」写真を見た連れ合いが申します。
からだが細くて 乾いた白の粒子をまぶしたような青色のトンボが飛んでいるのを見て、珍しいなとは思いました。それに加えて赤い翅のトンボがいたのには 気がつきませんでした。
いろんな県でレッドリストに入っているニホンカワトンボ か、アサヒナカワトンボ でしょうか。いずれにしても 区別がつきません。
もう少し調べてみましょう。
ご存じの方がいらっしゃいましたら、どうぞ教えてくださいね。
こちら以外にも、兵庫県には バイカモの群生地が いくつかあります。いずれも 地元の方がお世話をされておられ 優しい花を楽しめます。
静かな環境の中で 小さな命が紡がれているさまを見ることができます。大切に世話をされてこられた長い時間に 思いを致します。
生き物の棲むところに 人が合わせていくこと。災害を心配する時代ではありますが、こんなに豊かな気持ちになる出会いなら 慌ただしい人生の隙間に 時折差し込んで欲しいと思うのです。
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今日は 父の作品ではなく、1983年に 父が上梓しました「ひょうごの野の書」(神戸新聞出版センター刊 ) から、
高源寺 参道の手前の 大きなお地蔵さんの台石に書かれた「遊化 (ゆけ)」という草書体の文字を ご覧ください。(この本は、神戸新聞に 父が 111回の連載をさせていただいていた「野の書を訪ねて」をまとめて 題を改めたものです)
見づらくてすみませんが、こちらの 右下の写真のお地蔵さんの台座の下に 彫られた文字を拓本にしています。
「遊化」ご覧の通り 右から左へと書かれています。
拓本は、簡単に申しますと、書道で使う画仙紙などを 石碑などに水で張りつけたところに、墨を染み込ませたタンポという 布を丸く巻いて持ち手をつけたものを 何度も叩き込んで写しとるものです。
石碑を壊したり汚さないことと、拓本をとる許可をもらうことが必要となります。
こちらの揮号は、弘厳禅師です。
「ひょうごの野の書」の中で、弘厳禅師による この石碑の書について 父は
「温もりのある書線が、のびやかに暢びている。それに、くもりを感じさせぬところがよい。〈中略〉(厳しい修行を経て) 弘厳の至り得た精神は、ほのぼのとした崇高さをたたえていたことだろう。」と書き残しております。
「遊化 (ゆけ)」。仏教の言葉に 私が何か申すことはできませんが、この文字の力強い筆運びの中に 自在に楽しむ心を感じます。
お地蔵さんは、お寺が創建されてから 時代の下ること470年後の 1793年に造られたそうです。その当時に この「遊化」の文字が刻まれたようです。それでも 古いものです。
この本は、父が兵庫県内にある さまざまな石碑を訪ねて 拓本に採り、広く伝えようとしたものです。この取り組みは、父の書に対する姿勢そのものであったのかもしれません。私の拙い説明より、父の一文を どうぞご覧ください。
「われわれは、出来上がったものの美に酔う前に、それを作った人々の心を思い、彼らが生きた時代に思いを馳せなければなるまい。」
「(書道を志す)われわれは、自分の筆蹟を もっともっと大切にしなければならないと思う。そして、他者の筆蹟を更に大切に思わなければなるまい。他者の筆蹟の内奥をみようとする作業は、とりもなおさず他者の心を、その言わんとするところを、その根源においてとらえ、深く理解しようとする行為にほかならない。」
私が、父の作品を理解するのには、まだまだ時間が必要です。
長いお話になってしまいました。今日も おつきあいくださいまして、ありがとうございます。
くっきりとした青空の下、うぐいすが 盛んに鳴いています。
どうぞ お元気でお過ごしくださいますように。
野の書ギャラリー